今年度から始まる「アーティストによるコラム」シリーズの第一弾として、
2021年度入居者による自己紹介コラムをお届けします。
こんにちは、島貫泰介といいます。
普段はフリーの美術ライターや編集者の仕事をしています。現在は京都と東京を拠点に、『CINRA.net』『美術手帖』などでインタビューをしたり、記事や特集の企画を立てたりしています。
また、最近では『かもべり』という自主メディアを立ち上げて、気ままなタイミングで自分のつくりたい記事をつくっていたりもします。
CINRAでの仕事
美術手帖で書いた記事
ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり
ところで、「え? ライターがなぜ清島アパートに?」と驚かれる方もいるかもしれません。
2017年には落語家の月亭太遊さんが入居していたりもするので、欧米由来の「アート」とは異なる背景を持つ入居者も過去にはいらっしゃいますが、たしかにアーティストやクリエイターが中心のレジデンスに、あえてライター、しかも今年41歳になった私が入居するのはけっこう不思議です。
では、なぜ今、清島アパートだったのか?
直接の理由はやはりコロナです。
2019年初頭に本格化した新型コロナウイルスの流行で、私の仕事である取材やインタビューは約90%がリモートになりました。それまでは仕事の依頼があるたびに新幹線や深夜バスで東京へ出向き、およそ1週間の滞在のあいだに複数のインタビューをこなし、京都に戻って原稿を仕上げるというのがおおまかな仕事のスタイルでしたが、ZOOMやGoogle meetを使い、京都にいながらにして東京や日本各地、さらには海外の取材までこなすのがコロナ禍以降の日常になりました。
対面取材の醍醐味でもあるパフォーマティブな要素(ちょっとした仕草から相手の心理的変化を読み取ったり、取材場所の雰囲気をタネに会話を弾ませたり)はモニター越しの会話ではうまく機能しません。リモート取材自体はとても楽チンなので良し悪しありますが、ひとつ確実に言えるのは、コロナ以前/以後で私にとっての仕事は間違いなく変質したのです。
そんなわけで私は清島アパートにやって来たのでした。
仕事のほとんどがリモートになったのなら、Wi-fiさえ繋がれば何処にいてもいい。逆に、いまのようなオンラインを主としたワークスタイルがおおらかに許されるのもこの数年しかないはずで、その個人的な地の利を活かして面白い場所で暮らす実験をすることも、2021年だからこそできる醍醐味と言えるかもしれない。
そんなわけで私は数々の緊急事態宣言のハードルを超えて、ようやく6月15日に別府の街にやってきました。ちなみに今年度の入居者9名のなかで、私が最後の入居者でした。のんびりしすぎ。
とはいえ、せっかくの清島アパートでの愉快な暮らしです。単に場所を置き換えて仕事場所にするだけではもったいない。実際、別府でやりたいことはたくさんあります。
① 手芸を勉強したい。できれば地元の人から教えてもらいたい
② 九州の風土や文化をリサーチしたい
③ 小説や作品(?)づくりにチャレンジする
まず①について。
私はもともと武蔵野美術大学の映像学科出身で造形美術の勉強をしてきた人間ではありました。しかし早々に作品をつくることは断念して、文章を使った技術と表現に関心を移していきます。
それは絵や彫刻の、あるいは現代美術と呼ばれる表現ジャンルの「作品をつくるとことへの批判がなく、前提とされすぎている」状態に疑問があったからで、作品のかたちに至るプロセスや迷いに対して、できるだけ丁寧に目を向けていたいという気持ちが、「読む」や「書く」ことへと自分を導いたのだろうと思っています。でも、どこかで「つくること」から脱線してしまった自分へのやましさも感じていて、かつて持っていたはずの感覚と経験を取り戻したいとも思っていました。
手芸がその快復の手段として適切かはわかりません。でもすでにある布や糸を使って、ちくちくと(ちまちまと?)かたちを広げていく手芸のプロセスは、手数の積み重ねやその着実な可視化が、文章を書き連ねていくこと、立体的に写真や記事を配置して情報を整理する「編集」に似ているような気がします。
また、それを学ぶ先生となるのが男性ではなく、主に女性になるだろう、というのも面白いことです。
例えば美大における学生の女性と男性の比率がおよそ6:4から7:3になっている現在においても、主要大学の教授職の大半は男性のままです。現実的な学生の数やニーズに対して不全を起こすような状況への疑問は、とくにここ数年でよく耳にするようになりましたが、制度面の公正性を確保するのと同時に、学ぶ側、美術を受容する側にも意識的な変化が必要でしょう。やがて訪れる、あるいはすでにやって来ているパラダイムシフトに対して、私たちは柔軟でなければなりません。自分の中にはない技術の体系やものの見方を積極的に取り入れていくことは、寛容や自由の感覚を私にもたらすはずです。
②について。
私は数年前から、友人のアーティスト2名と一緒に「禹歩」というグループを結成しています。禹歩はリサーチを主目的としたコレクティブで、「墓」「大逆事件」「アンティゴネー」の3つの対象の研究から始まり、現在は「移動」もテーマとしています。
禹歩が紹介されてるページ(京都HAPSスタジオ)
その過程でたびたび興味にのぼってきたのが伊藤野枝でした。無政府主義者としてよく知られ、現在もカリスマ的な人気のある彼女は現在の福岡県糸島で生まれ育ちました。そして、その娘さんである伊藤ルイさんも福岡で暮らし、文筆や市民活動に勤しんだと聞きます。この2人についてのリサーチを行いながら、彼女たちを生んだ福岡や九州の土地柄、文化、歴史を知りたいと考えています。
最後に③について。
これは①や②を包含するものであり、またライター/編集者としての自分のアイデンティティにも関わるテーマです。
ライター/編集者としての活動を始めて、すでに10年以上が経ちます。さまざまなメディアで書かせてもらい、いろんな場所を訪ね、初対面の人とも深い会話ができる。それはとても幸福な経験でした。
2018年の大分取材記事
しかしいっぽうで、アーティストの話を聞き、かれらの世界観・芸術観を自分なりに咀嚼して文字としてアウトプットすることの、ある種の限界・無力感もひしひしと感じてきました。自分の経験や知識、取材時に相手とのあいだに感じられた共感は、私の書く・編むもののクオリティをある程度は担保するかもしれませんが、そこにはつねに書き手=私による「誤読」「曲解」「搾取」の可能性があるように思えてなりません。
本当に他者を理解することなど到底不可能だとしても、他者のありように限りなく漸近することができているか、またそれはどのようにして可能か。この禅問答的な煩悶は、ライターとしての経験を重ねても薄れることなく、むしろますます強く、濃くなっている。
では、私は何をすればよいのだろうか?
この疑問を払うための一つの実験として、私は清島アパートでの1年間の滞在を選びました。
これまでとは違う環境のなかで、これまでの自分の暮らしや働き方を継続しつつも、そこにまったく知らなかった経験を貫入・接ぎ木していくこと。多様なアーティストやクリエイターとの共同生活はまさにそれであり、あるいは毎日温泉に通うことが生活のサイクルになる暮らしもまた、未知の経験の一つでしょう。少しずつ変わりながら、ある継続性のなかで自分を更新して変化していく。そして可能であればこれまでよりもアーティストの「つくる」ことのマインドを体感的に理解していく。
それが、私が清島アパートでの1年間で得たいと考える、もっとも大きなものです。