別府には温泉がある。そして、その温泉には思い出があった。

私は東京に出て20年近く、ほとんどと言っていいほど九州には戻っていなかった。
だから思い出を、それこそ思い出すことなんてなかった。
東京では、ずっと写真家として自分に何が出来るのかということを考えていたし、考えすぎて他人を傷つけたりもした。

そんな、よくある青春を送っていた。

今でも様々な制約をくぐり抜け、写真家として自分に何が出来るのかを考えている。
ただ若い頃とは違って、ほとんど意味のないような場所まで落ちてきたし、他人を傷つけるほどに考えるということも減ってきた。

そう、そんなよくある中年に近づいてきていた。

でも、写真家として色々な場所に行く機会が増えてきたのも最近の出来事だ。
他人は今くらいのほうが素敵だと言い、そのくらいの私に期待されることは愛想くらいのものだから、仕事は以前よりは簡単になったと思う。

それでも、考え続けていることがある。

いつの間にか考えることは、朝ごはんを食べることと同じ感覚になってしまい、その生活に交じりこんだ欲望にも気づきにくくなっている。全ては、その欲望の見えにくさも含めて生活の中にあることと変わらないように見えてしまうことのほうが多い。

それでも、まだ考え続けていることがある。

そういえば、いつの頃から考え続けているのか。写真家として?芸術家として?それよりももっと前から考えていることのような気もするし、取って付けたことのように作品を作り出してから考え始めたハリボテという気もする。いくつものトークショーの出番で、雑誌や新聞の記事で、幾通りもの考えを話してきた私には、もうこの考えるという行為のパラレルさに飽きあきしているという感覚もある。

それでも、まだ考え続けていることがある。

そういえば、子供の頃は毎日が世界の終わりみたいな感覚で、なんでこんな場所で一生懸命に生きていかないといけないのかと真剣に考えたりもしていた。雨が降れば絶望し、風が吹いたら泣いているような子供だったから、曇りでも機嫌が悪く、晴れていたとしても日陰を探すような始末だった。それでも、唯一楽しかったという思い出は、お気に入りの服を着て、お気に入りの季節に、お気に入りの親の態度で、お気に入りの場所に行くことだった。

別府には温泉がある。そして、その温泉には思い出があった。
私の考え方は子供の頃からちっとも変わっていないのかもしれない。

東京から20年近くぶりに九州に戻ってきた。もう地元なんてものは存在しないし、こっちに友達と呼べる人間がいるわけでもない。だから九州に戻ってきたと言ってみても、ただ目の前の光景を写真に撮るだけしかすることはないのかもしれない。自分の世界が未だに終わっていなくてハリボテではないということを確認しながら、そのギリギリのせめぎ合いに絶望しながらも、写真を撮るだけなのかもしれない。考え続けるだけなのかもしれない。

でも、その生活の一部に染み込んだ写真という行為は、私の機嫌を少しだけ良くさせるし、この場所は私のお気に入りの別府という温泉街だ。

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